料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第105回(2022.9.12)

戦後の広小路は巨大シネマコンプレックス~なごや昭和写真帳「キネマと白球」より~

 
江戸後期の若宮周辺各書店で好評販売中
定価:1760円
 
戦後の広小路はシネマストリート

2022年3月 名古屋タイムズアーカイブス委員会代表の長坂英生氏のなごや昭和写真帳「キネマと白球」が風媒社より発刊されました。懐かしの写真に大感激したのは僕だけではないでしょう。戦後、映画館に囲まれた栄ミナミでの正雄君(昭和23年生まれ)の思い出を加えながら、長坂さんの許しを得て、写真を転載し戦後の広小路にタイムスリップできればと思います。

戦前、名古屋の映画館は寄席や芝居・見世物小屋から活動写真で賑わう大須に集中していましたが、戦災で多くが消失、戦後の区画整理に伴い栄地区の変化とともに広小路界隈がシネマタウンとして発展してきました。名古屋では昭和33年には140館もあり、人口比では日本一といわれるほど多く、封切館は栄地区に集中していました。

料亭の一人息子で毎日、小学校から帰り夕刻から店が繁盛しているので、邪魔にならないように映画館めぐりがお遊びの中心でもありました。特に、蔦茂の隣の下駄屋「いづみや」の木下明君(故人)は映画館の“もぎり”のおねえちゃんに顔が利き、「正雄君、つたもの惣菜持ってきてよ! そして、ステート座に行こう」と誘ってくれました。

調理場からチョットのおかずを失敬して映画館スタッフにプレゼント、僕らは顔パス、いつも無料で見放題、10時過ぎると静かになったお店に戻る生活でした。

ステート座(松竹映画劇場):栄3-2


ステート座からS29年改称

広小路劇場・奥が富国生命ビル

【昭和45年閉館後、スーパーダイエーから現在パチンコ・キング観光サウザンド栄】

戦後いち早く昭和21年にオープンした老舗で入り口には大きな池と庭があり、楽しい子供の遊び場、向かいには松竹小路という飲み屋横丁があり繁華街の中心!

松竹の封切館で『大忠臣蔵』(昭和32年)は総天然色であり、初めてのワイドスクリーン作品でロングランを何度もタダ??で観賞。歌舞伎界出演者・大石内蔵助に二代目市川猿之助そして、松本幸四郎、そして山田五十鈴と嵯峨三智子の親子共演となり、当時の松竹ならではの豪華な顔ぶれでした。でも同じ映画に飽きて居眠りしていました。
正面の喫茶「茶ばしら」(現存・駐車場)のクリームソーダの味が忘れられません。

広小路劇場:現在は広小路本町ビル東 栄3-1

ステート座に続く昭和22年オープンした老舗、洋画専門で映画史上不朽の名作「駅馬車」をハラハラドキドキして何度見たことか!! ジョンフォード監督、ジョンウェイン主演…ジェロニモ率いるアッパッチ族が懐かしい。前庭の釣り堀で遊ばせてもらい、西横の焼け残った3階建て茶色いビルには総鏡張り「喫茶CA」、貴金属時計の山田時計舗が懐かしい。毎年1回、腕時計の分解掃除覚えていますか???

千歳劇場:昭和45年閉館、現在はダイアパレス伏見 栄2-1

戦災で焼失したが、昭和22年に再建、31年に冷暖房完備新装オープン、大映の封切館・上階はキャバレー「キング・オブ・キングス」。隣接の「バー・ニューナゴヤ」とともに進駐軍兵士とともに地元の人が一緒にダンスに興じていたようです。小学校の同級生の親が経営していたので、いつも招待券をいただき、学校帰りに映画鑑賞。また、選挙で学校が投票所となり、授業のないときはここで映画を観て代替していました。映画館の売店名物、平野屋の「善次郎せんべい」は今も北側チトセビルで販売されているようです。

名宝会館:平成14年閉館、現在はリッチモンドホテル納屋橋 栄1-2

昭和10年開館の老舗、戦災にもかかわらず躯体の消失を免れ、戦後すぐに復活。名宝劇場、スカラ座、文化劇場、ニュース劇場などがあり、東宝系封切館が揃い今風のシネマコンプレックスの創始! ここには“もぎりのお姉さん”の知り合いはなく、有料観賞。小学校1年生の時、名宝会館での「ゴジラ」ビックリしました。その後の怪獣映画シリーズでスリルを満喫しておりました。また、昭和30年屋上7階? に増設された名宝スカラ座はエレベーターが下の階までで、大変階段が込み合い、金網張りの非常階段で下まで降りていました。

ミリオン座:唯一現存の映画館 栄1-4

【跡地はハートランドスタジオで、現コインパーキング。仲ノ町から、伏見ミリオン座として御園商店街に移転、そして、現在も錦2-15でミニシアターを展開】
昭和25年開業、古川為三郎率いるヘラルドグループのグレードの高い洋画封切館で女性から人気のオシャレな映画館。店名のミリオン・由来は開業時に名古屋の人口が100万人を超えたことから。「ローマ休日」の大ヒットで有名に!

名古屋日活劇場:現在は栄スカイル 栄3-4

昭和23年に「日活スタジアム」として開館、ボクシングや歌謡ショウのイベントで賑やかしましたが、昭和27年に映画館に転身、洋画の封切館! 日活の名古屋旗艦店として石原裕次郎率いる石原プロダクションの作品で人気館でした。映画「太陽の季節」「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」など軒並みヒット。

また、洋画からロマンポルノのロマン座、ヤクザシリーズの東映会館、ロマンスシートの丸栄ピカデリーなども大きな手書き看板を立てて繁盛していました。

残念ながら当時広小路に15館あったシネマは現在一軒もなく、不毛の文化を嘆いております。新しい大きな再開発が栄に進捗するなか、ぜひ、映画館の再興を期待しております。

東海高校3年生担任・日本史の長谷川昇先生のお言葉を紹介してエッセイを〆させていただきます。
「映画は芸術であり文化の象徴! 下手な高校の授業を聞くより、シネマを見に行け。映画に行けば出席扱いにするが、事前申請と感想を聴かせろヨ!!」

(写真出典・引用)
なごや昭和写真帳「キネマと白球」 発行所・風媒社より(令和4年3月刊)
編集者:名古屋タイムズアーカイブス委員会代表の長坂英生氏