料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第67回(2016.10.25)

料亭・割烹・屋台の町・・・南桑名町・桶屋町五丁目

尾府全図・明治2年、名古屋時代MAP 江戸尾張地図No.10より
地図1:尾府全図・明治2年、名古屋時代MAP 
江戸尾張地図No.10より
尾府全図・明治2年、名古屋時代MAP 江戸尾張地図No.10より
地図2:住宅地図協会・昭和35年刊、北見昌朗氏複製作成

江戸時代、紫川支流に沿って桑名町の南は中級武家屋敷が各ブロックに連なり、東西に4~6軒のお武家様の住まいとなっていました。(地図1:尾府全図・明治2年)

桑名町は、清須の北市場に伊勢の国から桑名の人々が集まってできていた桑名町が移ってきたもの、桶屋町は同じく清須の桶屋町が名古屋に移転、町名の由来は清須時代に町内に家持桶師孫左衛門という者が居住していたからです。(北見氏地図説明文より)

明治時代となり、長者町筋の西・広小路が拡幅され、南北の飲食街が広がり料亭・割烹店が軒を並べておりました。

第2次大戦で焼失した後は、アメリカ村の進駐軍需要に支えられた料理店・居酒屋やキャバレーなどで賑わった地域となりました。昭和21年に南桑名町2-3丁目は米軍の家族住居アメリカ村に接収され、広小路から1ブロックのみ1丁目だけとなりましたが、大型飲食店舗もあり繁盛していました。

昭和34年の北見さん地図(地図2:住宅地図協会・昭和35年刊)から、当時の思い出と現状を比較してまいります。

写真1:島正・山城屋 現在の様子
写真1:島正・山城屋 現在の様子
島正HP:http://shimasho.biz/original.html

現存するのは高級陶磁器業務卸の山城屋さん、北側の大野ミシン店にショールームビル建設、東の(株)万富さん跡地は専用駐車場として活用されています。

角の島正さんはどて焼き(味噌おでん)・どて飯など名古屋飯の老舗。 昭和24年に広小路屋台「きむらや」として創業。昭和36年に「きむらや」から「島正」へ店名を改名、その後、現在地に移転。島正という店名は御園座に出演していた常連の新国劇俳優の島田正吾氏に由来するとのことです。(写真1・島正・山城屋)

写真2:閑所が路地の呑み屋街
写真2:閑所が路地の呑み屋街、そして、広小路屋台置き場から、
駐輪・駐車場へ
写真3:チトセビル 林統一郎氏宅 以前は「理容千歳」
写真3:チトセビル 林統一郎氏宅 以前は「理容千歳」

北の電化ストア池田は飲食ビルを運営、路地の呑み屋街は駐車場と自転車置き場となってしまいました。(写真2・閑所の駐車・駐輪場)

懐かしいのは映画館「千歳劇場」。洋画の封切館として賑やかで、2階はキャバレー「キングオブキングス」、隣接の「バーニューナゴヤ」とともに米軍兵士と地元の邦人が一緒にダンスに興じていたようです。千歳劇場の売店でタバコ・菓子・飲物を販売していたのがお隣の「チトセ」さん。ご子息で南桑名町の町内会長・林統一郎氏ご夫妻が地域発展に尽力されています。「理容千歳」の後、たばこ店と貸しビルを経営、映画館で売れた平野屋・純米手焼き「善次郎せんべい」を今も販売継続されています。(写真3・チトセビル)
映画館はダイヤパレス伏見として飲食街とマンション・オフィスとなりました。

通りの東には本格料亭が2軒、南の「一楽」は白木の門構えと近藤歌子女将の気遣いで有名。そして、その隣りは八事八勝館の出店で栄都心でのナンバーワン料亭として毎日、芸者衆で賑わっていました。アメリカ村返還後、八勝館は換地で南の白川通り北に移転し、大型料理店八勝館中店と中華料理九龍を経営された後に、100戸を超える賃貸マンションウィンコートを建設、都市居住回帰ブームの先駆けとなりました。

北側のSBカレースタンドは「くらぶ亭」。森川ファミリーがオーナーで、丸栄南館増設後、昭和40年ごろに松竹小路の「トリオのカレー」店が移転。一世を風靡した幻のカレーとして話題となりました。具がほとんどなく、いっぱいの玉ねぎをそのまま炒めた薄いシャビシャビ・ルーが有名でした。平成26年5月14日NHK「よみがえりマイスター」という番組で「もう一度食べたい、亡き父の伝説のカレー」として1時間の特集が組まれました。何度も再放送され、全国の話題となりました。この番組にはトリオの味を復活する生き証人として小生と新聞店の菅井隆光さんが出演しております。撮影時は森川春男さんがお住まいになっていましたが、今はご不在でちょっと気になります。

写真4:とんかつ三好乃・森川春男宅・・奥にはカレー調理場も現存しています
写真4:とんかつ三好乃・森川春男宅。
奥にはカレー調理場も現存しています

北隣は3代続く吉田さんの洋食「三好乃」。現在は1階にテナント入居させ、2階で「とんかつ三好乃」が営業中、本格ランチのお店として好評です。(写真4・三好乃・森川宅)

そして、角の三井銀行名古屋支店は昭和10年竣工で、設計は曾禰中條建築設計事務所、施工は竹中工務店。6本の円柱はギリシャのイオニア式文様で、柱に礎盤があり、曲線状の渦形を持つ柱頭に特色があります。両端には壁面を配し、ファサード(建物の正面)は花崗岩で仕上っていて、優美で壮麗な雰囲気を醸し出しています。名古屋の歴史建造物遺産・ランドマークとして現役活躍中です。

写真5:料亭たいや・名古屋本店 平成10年ごろの写真
写真5:料亭たいや・名古屋本店 
平成10年ごろの写真

広小路の両側は屋台で賑わい、NTTビルの北・桶屋町5丁目には「料亭たいや・名古屋本店」と路地には割烹・居酒屋が軒を並べていましたが、今は駐車場となり寂しい限りです。(写真5・料亭たいや。現在は跡地駐車場)

東側の鯛めし楼さんは、高級割烹・料亭として各界の著名人に愛されるお店として活躍されています。

戦後の南桑名町と桶屋町5の通りは住吉とならび紫川の伏流水に恵まれた、料亭・割烹・居酒屋・バー・キャバレー、そして広小路屋台と賑やかな繁華街でありました。