料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第68回(2016.11.24)

おたび所横町うちこして

名古屋城三の丸:江戸時代の天王社・東照宮地図
地図1:名古屋城三の丸:江戸時代の天王社・東照宮地図:那古野神社HPより

慶長15年(1610)、徳川家康は名古屋城築城にあたり三の丸にあった若宮八幡社と亀尾山天王社を移転させようとしました。若宮は素直に応じ、今の地・南寺町に遷座し尾張名古屋の総鎮守として現在に至っています。天王社の宮司は神からのお告げで「移転できず」とのこと。困った家康は占いにかけたところ2回とも動いては駄目の神託であり、現在の東海農政局あたりにそのまま残り、社領348石を拝受し城の鎮守となったとのこと(名古屋城観光ガイド・栗田正昭氏談)。時は明治となり同地は陸軍の司令部と変わり、天王社は1876年に旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称しました。

天王祭は、東照宮祭、若宮祭とともに名古屋三大祭りに数えられ、名古屋城下を代表する祭りでした。7月15・16日祭礼で、最盛期には車楽(だんじり)2台と見舞車(みまいぐるま)十数台が曳き出される大変賑やかなものでした。

家康公逝去後3年が過ぎた1619年に日光・駿府に準じて、徳川義直は若宮跡地に3番目の東照宮を創建し、社領1000石を附したといわれています。

翌年、本町通り東、若宮八幡社北に御旅所を設け、毎年4月17日には神幸の儀が行われました。神輿を始め山車9両を列ね、供奉総勢6千人以上が本町を南に若宮まで渡御し、名古屋一の東照宮祭として代表的な祭礼が執り行われました。同時に5月15~16日の若宮祭は城下の天王社に赴く山車行列。すべてが御旅所を中心に営まれたといわれています。

名古屋城三の丸:江戸時代の天王社・東照宮地図
写真1:尾張名陽図会・御祭礼御宿院:左が本町通り、左が別当の「東漸寺」

東照宮御旅所は北の守綱寺、隣に設けられた寺・別当の「東漸寺」があり、大藪と老樹が鬱蒼と生い茂る薄暗い地であったといわれています。

御旅所とは祭礼に神輿が本宮から渡って仮にとどまる場所で、多くの海山の幸が供えられ、神楽がにぎにぎしく奉納されました。三大祭では各所から神輿・山車とともに参加した氏子たちの憩いの場で、各町内は休息所で腕によりをかけてご馳走を振舞いました。 (花の名古屋の碁盤割p41より、写真1:尾張名陽図会)

御旅所は明治8年に取り壊されました。樹木は切り払われ、境内地は民家に払い下げられ、町家ができました。昼なお暗かった若宮八幡の北は、俗に「御旅所横町」とよばれ、「花の名古屋の町割」七墓御詠歌にも詠われるようになりました。

若宮八幡社北・御旅所横町
地図2:若宮八幡社北・御旅所横町:住宅地図協会・昭和35年刊、北見昌朗氏複製作成

現在の道路標識では「矢場町通り」となった「おたび所横町」。 戦後・昭和34年地図をもとに南伊勢町から西に若宮八幡へ旅をしながら、ご案内してまいりましょう。(地図2)

白林禅寺・政秀禅寺が底地権を持っているのか、この通りは多くのお店が現役で頑張っている、栄ミナミでは珍しい地域といえます。南は肉屋宮田。栄小学校の同級生・宮田卓三君率いるお肉の名門(株)宮田精肉店です。中公設から三越デパートを中心にギフトや世界金賞獲得のソーセージなど大活躍。調理工場は堀川沿い天王崎橋南で展開されています。もちろん料亭つたも人気のステーキ弁当は宮田さんの宮崎牛で、大好評です。

写真2:南伊勢町通りより、御旅所横町を西に見る:宮田精肉、深尾ユニフォーム
写真2:南伊勢町通りより、御旅所横町を西に見る:宮田精肉、深尾ユニフォーム

お隣の小笠原さんは現在もお住まいで、ユニフォームの深尾商会さんの弟は深尾康夫君。やはり栄小の同級生でチョットおとなしい感じでしたね。最近、お顔をみないけどお兄さんの息子さんが社長となったのかな? 水谷義裕さんは10年前に小生が栄中部を住み良くする会会長就任時の副会長で、やんちゃな深田正雄の後見人兼町内のまとめ役としてご尽力いただきました。住吉町歩道絵タイルをCD特集いただき感謝しております。板ガラス・尾畑商店は駐車場となり、山田板金の山田耕三さん宅はご家族がお住まいのようで現役です。(写真2)

写真3: 若宮八幡社北:ツバメ理容、朝倉針灸治療院、若原裁縫具店
写真3: 若宮八幡社北:ツバメ理容、朝倉針灸治療院、若原裁縫具店

北側、丸栄家政婦紹介所の奥様はお元気で、とても和服がお似合い。玉井染工(株)さんは今でも井水を汲み上げ繊維染色業を営み、明治屋楽器店さんは演歌テープ・CDがいっぱい陳列、奥様にはいつも栄ミナミ盆踊りの先生としてお世話になっております。

プリンセス大通りを越えて左には、老舗「つばめ理髪店」。犬が大好きで、まるまる太った柴犬ちゃんがいつも車道で寝そべり、車が徐行し交通安全。お向かいの朝倉はり・灸治療院、裁縫具の若原商店は往時のままの営業。ご両人とも矢場町3丁目老人会の重鎮として活躍、時計卸の和光堂さん本業とともにご親族がサカエ美容室を経営されているようです。 (写真3)

写真4:東建コーポレーションの工事現場を北から見る:旅館八幡、双葉屋跡地
写真4:東建コーポレーションの工事現場を北から見る:旅館八幡、双葉屋跡地

御旅所跡地、大野理髪店は最も古い貸しビルを経営。深見社長のマルサン教材社さんは本町通りに移転、西隣りオーダー洋服のフクヤ工房(森島羅紗グループ・深見順一社長)は手羽先の風来坊さんとなっております。本町角はチサンマンション白川公園。南の若宮八幡社に隣接した旅館八幡は婚礼や宴会で一世を風靡、化粧品卸マダムジュジュの看板が懐かしい(株)双葉屋さんの宮田操君も栄小の同級生でした。両地とも駐車場となっていましたが、今年10月より東建コーポレーションの工事が始まり、中日シネラマ跡地とともに再開発され栄地区では最大規模の地上28階・高さ100mのホテル型高級賃貸マンション「新・栄タワーヒルズ」が平成31年2月完成とのことです。(写真4)