料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第97回(2019.4.16)

アメリカ村から「芸術と科学の杜」へ

白川公園の約1万坪敷地を利用して、平成31年3月23日より木下大サーカス名古屋公演開催中! 2010年の名古屋開府400年記念以来9年ぶりで、大賑わい。連日、親子づれやカップルがライオンショー、空中ブランコ、イリュージョンの世界など、興奮のイベントを満喫されています(6月10日まで開催)。

木下大サーカステントと世界一のプラネタリウム
木下大サーカステントと世界一のプラネタリウム

明治35年に大連で曲馬団を創業したのが木下大サーカスの原点といわれ、各地で年間120万人を超える観客を魅了しています。会場は栄2丁目で、心配された猛獣の鳴き声や雄たけびで住民を煩わせることなく、地域の方々に招待券を配布したこともあり大好評を得ております。こんな広々としたイベントスペースが都心にあることが嬉しく思っています。

河村市長はここに世界一の1000mタワーを建設して新名所にしようとか、地元では近隣の過疎化で悩む小中学校を一括統合し、9年間一貫教育の公立学校を建設して、現存の各学校跡地を商業施設として再開発して地域の活性化に役立てようとするプランなど、将来への大きな夢が広がる地域です。

GHQアメリカ村土地賃貸借契約
GHQアメリカ村土地賃貸借契約

栄2丁目一帯は、戦前は南側に大林寺を中心に多くの寺院がならび、北地区は白川小学校や商人の町として栄えておりました。昭和20年の大空襲で焼け野原に。翌21年には連合軍将校の家族住宅132世帯の「アメリカ村」が建設され、地元民は追い出されてしまいました。深田宅も八百屋町3-7(現、栄2-13-20周辺)にありましたが駐留軍に接収されました。昭和28年5月28日の賃貸契約書には「宅地72.9坪、月額3043円21銭を名古屋調達局が支払う」と記されています。

昭和33年末返還後、南は白川公園として整備、北は減歩して旧所有者に返還されました。北側の8ブロックは南桑名町・南長島町・南伏見町・八百屋町・白川町と旧町名にいったん戻り、昭和41年3月に栄2丁目6~13番と新町名となりました。

アメリカ村全図:返還前S33年・南若宮通りより北を望む
アメリカ村全図:返還前S33年・南若宮通りより北を望む

「みて、ふれて、たしかめて」だれもが楽しみながら科学に親しめる国内屈指の総合科学博物館『名古屋市科学館』は、昭和33年科学館建設調査委員会初会合、昭和35年12月第1期工事(天文館) 建設着工。37年11月に天文館オープン以来、理工館、生命館、平成23年3月19日にはギネス認定世界一の大きなプラネタリウムと増設を重ね、平成26年には来場4000万を達成しております。同年よりプラネタリウムについて、ブラザーグループが掲げる環境活動のスローガンでオフィシャルスポンサーとして「Brother Earth」のネーミングライツ権(年間3650万円)で支援いただいています。

平成26年4月に就任した12代館長・纐纈満氏は日本ガイシ(株)OBで小生の東海の同級生。民間発想で「考えてわかることは、楽しい!」のテーマで子供たちの科学への興味を刺激しています。科学館の正面道路を渡り歩道を見ると4星座のタイルが埋め込まれていますので、南長島町通りの舗道を散策してみてください。

さそり座
左からさそり座 うお座 おうし座 しし座

大昔、氷河期から気候が暖かくなると、白川公園あたりはドングリ・クルミなどが採れる豊かな森となり、紫川の清流沿いに縄文人は実りの季節に木の実を集め、土器に入れて地下の穴に蓄えていたようです。科学館周辺には「白川公園遺跡」があり、地中から20以上の穴や石皿が発見されています。

平成21年頃、プラネタリウム新設工事前に、名古屋市教育委員会は、「県内で最大規模の縄文時代の貯蔵穴群がある白川公園遺跡で、縄をねじったような彫刻が施してある縄文時代晩期(約2500年前)の彫刻石皿(縦約40cm横約30cmの楕円形)が出土した」と発表しています。

同時期の彫刻石皿は石川、富山県で各1皿出土しているが、周囲に凹凸の簡単な模様が付いている程度で、今回のように複雑な模様の彫刻がしてある石皿の発見は日本初といわれています。

『名古屋市美術館』は昭和63年4月22日に開館、建物は地元蟹江出身で東海中高OBの建築家・黒川紀章の代表作として有名です。随所に日本の伝統的手法と色彩が盛り込まれており、西欧と日本の文化、あるいは歴史と未来の共生がこの建築の主要なテーマとなっています。

内部のドア枠や窓には西欧の建築様式や江戸の天文図等が引用され、梅鉢の紋や茶室の模擬などが採り入れられ、同様に屋外にも木曽川の風景、名古屋城の石垣など、物語性をつくりだすための記号が配置されています。これらの様々な仕掛けを、床、壁、天井そして建物まわりから読み取ることができ、新しい発見があるのも、この美術館の特色の一つです。

稲沢・荻須高徳のご縁からエコール・ド・パリ、瀬戸市ゆかりの北川民次からメキシコ・ルネサンスのコレクションほか、ユニークな特別展示が常時企画されています。また、公園内周辺には多くの彫刻作品があり、木陰を散歩してゆっくり楽しむのも一興です。

『でんきの科学館』は中部電力が運営する「電気文化会館」として昭和61年に開館、平成18年及び平成23年にサイエンスプラザとして拡張しています。ここは名古屋で初めての発電所の跡地なのです。

明治20年、尾張藩士を救済する士族授産の活動によりに設立された名古屋電灯では発電所の用地として南長島町・入江町にまたがる360坪ほどの土地を購入した場所が『でんきの科学館』です。ここにアメリカから輸入したボイラー・蒸気機関とドイツから輸入した発電機(総出力100キロワット)を据え付け、「電灯中央局」と名づけ、後の第一発電所となりました。発電所は1889年(明治22年)11月に竣工し、11月3日の天長節を開業日と定めたが、電球を積んだ第一便の船が沈没してしまい第二便を待ったため、開業は1ヵ月遅れて12月15日となったといわれています。

『三井住友海上しらかわホール』は平成11年に住友海上創立100周年を記念し、伏見にコンサートホールを完成させました。当初は「しらかわホール」の名称で、以来、名古屋市を代表する中規模コンサートホールとして、内外の一流演奏家をはじめ、プロ・アマチュアなど幅広いコンサートが行われています。開館15周年を迎えるにあたり、平成11年4月1日にホール名称を「三井住友海上しらかわホール」と変更されました。

広小路通りを中心に舗道での「まちなかアート」、そして日本を代表的する大手、日動画廊名古屋支店他多くの画廊・骨董商があり、三味線・尺八・琴の岩田商店など文化豊かな芸術の街といえます。名門、ウロコヤさんでは、茶道具を中心に古美術・新作まで巾広く取り扱っています。気軽に使える手頃な品から逸品まで、心惹かれる品を取り揃え、年に3回ほど開催する「茶器展」では多数の品を正札展示し、好評を博しているようです。

懐かしの名古屋市電
懐かしの名古屋市電:正雄君は栄町より山口町までNo.22で中高6年間通学(科学館にて)

十数年前、ホームレスの定住地として暗いイメージのあった白川公園が、地域民と行政の協力で難民?に移住をお願いして、明るく緑いっぱいの「歩いても住んでも楽しい町」として人気スポットと大変化。最近は高級マンションが公園周辺に林立し、人々の都心回帰ブームもあって栄2丁目の住民はこの10年で倍増したのではないかと思われます。

昨年より「栄ミナミ桜を育てる会」(米田行孝会長)がリードして、三蔵通りにオカメ桜を植樹しています。毎年3月上旬には栄と名駅を結ぶ早咲き桜の新名所となるのが楽しみです。